数学は社会で役に立つのか

数学は、ことわざに似ているなぁと思っています。

この世界から、ひたすら具体的なものを取り除いていったときに残るもの。そこに残ったパターンや関係性が、数学ではないでしょうか。

子どもは抽象的に考えるのが苦手なので、足し算をリンゴやミカンの数でイメージします。「1+2=3」という抽象的な概念に、具体例を当てはめて考えます。抽象的な数学 vs 具体的なものごと という構図です。

ことわざもそうですね。「あ、これってまさに『急がば回れ』じゃん!」みたいな場面は、よくあります。

「2回転んだら、きっと3回目も転ぶから気をつけよう」

「2回間違えたら3回目も気をつけよう」

「2回忘れ物をしたら…」

なんて個別的に考えだすとキリがないので、人はそこに共通するキーメッセージだけを抽出します。それがことわざです。

数学もこれと同じです。ただし、ことわざよりも更に抽象度を深め、具体性をなくした究極が数学だと思っています。

現実世界と数学、本質はどちらか

別々のできごとが、抽象化すると実は同じものだったというのも「あるある」です。

「アーティストは、センス × 努力 だ!」みたいな会話をするとき、これは因数分解という概念の具体化です。一見すると センス + 努力 と足し算で表現してもいいように思えます。しかし「どんなに努力してもセンスがゼロではNG」という状況は、足し算ではなく掛け算です。

別の例です。「日々の練習の積み重ねが、実力をつくるのだ」みたいな話の裏側にあるのは積分の概念です。その瞬間瞬間に練習したことが、何かしらの形で積み上がっていくというのが「時間で積分する」ということです。

ほかの数学分野も同じように日常生活に隠れています・・・と言うよりイメージとしては逆で、むしろ日常生活が数学の中に隠れているのではと感じています。地球や人類が生まれる前から世界には数学的な規則やパターンがあったわけですから、先立つ概念は数学の方です。その個別的な例であり、数学の下にあるものが、人が認識するこの世界だというイメージはどうでしょうか。

まとめ

数学について考えていると、ふと世界の見え方が変わる瞬間があります。それまで具体例でしか見ていなかった世界に、共通する法則が見えた瞬間です。

歴史の授業や、国語のことわざを覚えるのを、無駄だと言う人はあまり聞きません。抽象的で応用可能なルールを知っておくと、社会で役に立つからです。

数学もそれと似たところがあります。

道具としてベクトルや因数分解を使う職業は、世間ではむしろマイノリティです。しかし数学の勉強を通じて人は頭のなかに「パターン」をストックしていきます。ことわざよりも更に抽象的なので、パターンを学習していることや、そのパターンを使って考えていることすら、おぼろげとしか意識できません。でも「因数分解」と名前がついていることは認識していなくても、そういった思考パターンの一部は、実は数学を通じて身についているんだと思うんですね。

僕らが見たり触れたりしている世界は、「本質的な何か」である数学から下の次元に降りてきた影のような存在なのだろう。数学については、そんな捉え方をしています。