世界の平均寿命がどんどん伸びています。日本人も毎年、寿命がプラス0.3歳です。
誕生日が来て1歳増えても、その間に寿命が0.3年伸びる… つまり、実質的な老化は0.7年分です。
こう考えてみると、 “0.3” は案外大きい数字だと感じないでしょうか?
- 1年で、0.3年分のお釣りが返って来る
- 12か月生きても、3-4か月分は歳をとっていない
- 24時間過ごしても、7時間分はノーカウント
この +0.3歳というペースは過去50年間続いています。そのうち止まると言う人いもいますし、テクノロジーの進歩によって逆に加速すると言う学者もいます。
もしこのペースが 0.3 → 0.4 → 0.5 → … と上がって、万が一、1.0 を越えたと想像してみましょう。1年歳を取ると、1.1年寿命が伸びる。これでは永遠に寿命がやって来ません。
おとぎ話のようですが、これを真面目に研究している人たちがいます。Google社はCalicoというベンチャーを立ち上げて、不老技術等の研究に年間1000億円を投資しています。またエリザベス・パリッシュという起業家は自身の体に遺伝子組み換えを行い、その結果、体細胞が20歳若返ったと主張しています(周りの科学者からは、人体実験だと非難を浴びています)。
以前は、テロメアという細胞の寿命タイマーによって、命の限界が決まっていると言われていました。しかし現在ではテロメアは伸ばせることが分かっていて、2009年にはテロメアを伸ばす酵素の研究にノーベル生理学・医学賞が授与されています。
POINT
- 人間の寿命は、毎年0.3歳ずつ伸びている
- このペースが伸びると老化の概念が変わる
- テロメアによる寿命限界は、理論上は解決が可能
長寿化は良いことか?
不老不死は一旦忘れます。
それでも、平均寿命が80歳→90歳→100歳というところまでは、とても現実的な可能性として見え始めています。もちろん老いにくくなってもケガや病気が消えるわけではないので、やはり命にはリスクがつきまといます。
「それでも寿命が200歳になったら、命の尊さが薄まってしまうのでは?」と言う考えもありますが、もしかしたら、寿命が80歳を超えてしまった我々も既に、昔の人からは薄っぺらい人生だと思われているのかもしれません。
一方で、寿命が伸びることによって、社会にはプラスの影響もあります。それは、政治や民主主義が未来を向きやすくなるということです。
「年金が50年後どうなるか知らないけど、とりあえず自分が生きている間はちゃんと支給して欲しい」
こういう気持ちは誰にでもあります。老いも若きも、自分のために投票して良いというのが民主主義の前提です。しかしそれが時に、未来に対する考え方の違いにつながってしまうことがあります。
そんな中、50年後もみな生きているとなると、全員が長期的な未来を考えざるを得なくなります。森林を伐採しすぎて困るのは、50年後の自分です。
超長寿社会になると、キリギリス型の政策では結局自分たちが損をします。未来に備えるアリ型の政策が、多くの世代から支持されます。皆が未来志向になるということです。
POINT
- 長寿化によって、その場しのぎの政策が少なくなる
- 社会は未来志向になる
働き方の変化
労働者も同じです。寿命が伸びると、一生の間に複数の産業革命や情報革命を経験することになります。
入社時に覚えたスキルだけでは定年まで逃げ切ることができないので、「変わり続ける」「成長し続ける」姿勢をとる人が増えます。最初の20年さえ頑張れば後は余力でなんとか、というわけにはいかないためです。
同じように、既得権益がもつ力も小さくなります。「いまある権力で甘い汁が吸えるから、現状を維持しよう」という考えは次第に古いものとなってきます。ほとんどの地位や権力は、10年もっても50年はもたないためです。
昔は火縄銃をもっていたら有利だったかもしれませんが、戦車が発明されたら立場逆転です。また、そろばん技術が商人の地位を高めていた時代もあったでしょうが、電卓が生まれたら商売上がったりです。このように、有利な立場を築いた人も、あぐらをかかず次に備えておく必要が生まれます。
どんな知識やスキルにも賞味期限があるので、超長寿社会では「先行逃げ切り」が通用しにくくなります。キリギリスよりアリ、ウサギより亀が報われる世界で、ストックよりもフローが価値をもつ世界と言えます。
POINT
- 長寿化によって、地位や権力が絶対的なものでなくなる
- 個人レベルでも、変化し続ける姿勢が選ばれるようになる
まとめ
最初に出した寿命のグラフを見ると、50年間で、わずかに伸びが鈍化しているように見えます。しかし、時代が流れる速度はこれからも一定ですが、医療など、テクノロジーの成長速度は加速度的です。平均寿命がどこまで伸びるかは、蓋を開けてみないと分かりません。
ネイティブアメリカンのイロコイ族 (Iroquois) は大きな決定を下すとき、それが七世代後のためになるかどうかを判断基準にすると言います。とても尊い考え方ですが、私たち一般人にはなかなか真似できません。地球の未来を考えると我慢しなければならない、でも我慢は痛みを伴う。何とも悩ましい状況です。
そんな中、ルールや罰則で縛るのではなく、寿命が伸びることで自然と皆が同じ方向を向くようになる。これは、自発的で連続的な問題解決という点で、珍しい変化の生まれ方だと思っています。